水を弾く塗料が、巨大船の燃費を変える?――ハリセンボンから生まれた「削れても超撥水」材料
水を弾く塗料と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。
雨を弾く自動車のコーティングや、汚れにくい外壁。
確かに、それだけでも便利だ。
しかし、もしその材料を「船の底」に使ったらどうなるだろう。
船体表面の性質を変えることで、船体と海水との間に生じる流体抵抗を減らすことができれば、巨大な船を動かすために必要なエネルギーそのものを減らせる可能性がある。
つまり、これは単なる「汚れにくい塗料」の話ではない。
船の燃料消費を減らし、輸送コストやCO₂排出量まで変える可能性を持つ材料の研究なのである。
■ ハリセンボンから生まれた「超撥水材料」
この材料を開発したのは、物質・材料研究機構(NIMS)の山内祥弘氏、天神林瑞樹氏、佐光貞樹氏、内藤昌信氏らの研究チームだ。
研究成果は2019年、ACS Applied Materials & Interfacesに発表された。
研究チームが挑んだのは、非常に高い撥水性能を持ちながら、従来の超撥水材料の大きな弱点だった「耐久性」を改善することだった。
そのヒントになったのが、意外にもハリセンボンだ。
ハリセンボンの表皮は、硬いトゲと柔軟な皮膚という、性質の異なる構造を組み合わせている。
研究チームは、この構造を材料に応用した。
使われたのは、4方向に針が伸びたようなテトラポッド型の酸化亜鉛(ZnO)と、柔らかいシリコーン樹脂であるPDMS。
このテトラポッド型粒子を樹脂の中に高密度に組み込む。
すると表面には、微細な凹凸構造が形成される。
水滴はその上で強く弾かれ、材料を濡らしにくくなる。
いわゆる「超撥水」状態だ。
■ 本当にすごいのは「削れても終わらない」こと
超撥水技術そのものは以前から存在する。
代表的なのがハスの葉だ。
ハスの葉の表面にはナノ~マイクロメートルスケールの微細な凹凸があり、それが高い撥水性を生み出している。
しかし、この仕組みには弱点がある。
凹凸が壊れれば、撥水性能も失われてしまう。
塗料や構造材料として使う場合、これは大きな問題になる。
自動車でも建物でも船でも、表面は擦られ、曲げられ、傷つく。
そこで研究チームは、表面だけに凹凸を作るのではなく、材料そのものを三次元的なトゲ構造で構成した。
表面が削れる。
しかし、その下から新しいテトラポッド構造が現れる。
さらに損傷しても、新たな凹凸が表面に露出する。
これは「傷そのものが元に戻る」という自己修復ではない。
傷ついても、超撥水性を生み出す構造が新たに表面へ現れるのである。
■ 1000回擦っても、1000回曲げても
ここは、この研究の面白さを象徴する数字だ。
2019年に発表された論文では、この複合材料は1000回の摩耗試験を行った後も安定した撥水性を示した。
さらに1000回の曲げ試験後にも撥水性能を維持。
表面を繰り返し切り取った場合でも、超撥水性が保たれたという。
曲げる。
捻る。
擦る。
引っ掻く。
切る。
従来の超撥水材料が苦手としてきた機械的なダメージに対し、この材料は高い耐性を示した。
ハリセンボンを模倣した構造は、単なる面白いアイデアではなかったのである。
■ そもそもの研究目的は「船」だった
そして、この研究の背景を知ると、話のスケールが一気に大きくなる。
NIMSによれば、内藤氏らのチームはもともと、船から排出されるCO₂を減らす目的で船底塗料を研究していた。
狙ったのが、
超撥水によって海水との流体抵抗を減らすことだった。
船は巨大な船体を水中で動かしている。
当然、水から大きな抵抗を受ける。
その抵抗に逆らって船を進めるため、エンジンは大量のエネルギーを使う。
では、船体表面の性質を変え、水との抵抗そのものを小さくできたらどうなるだろう。
同じ速度で進むために必要な推進力を減らせる可能性がある。
必要な推進力が小さくなれば、燃料消費の削減につながる可能性がある。
コンテナ船、タンカー、LNG船。
巨大な商船は長期間、長距離を航行する。
そのため船体表面の性能改善がわずかだったとしても、それが長期間維持されれば、積み重なる効果は大きくなる可能性がある。
■ 「エンジンを改良する」だけが省エネではない
ここが、この研究から見えてくる面白いところだ。
船の燃費を良くしようと考えたとき、多くの人はまずエンジンを思い浮かべる。
エンジンの熱効率を上げる。
燃料を変える。
プロペラを改良する。
もちろん、それらも重要だ。
しかし別の方法がある。
そもそも船を進みにくくしている抵抗を減らしてしまう。
エネルギーを効率よく作るだけではなく、
必要なエネルギーそのものを減らす。
自動車で車体を軽量化したり、空気抵抗を小さくしたりするのと同じ考え方だ。
材料科学が、省エネルギー技術になる。
この研究の面白さはそこにある。
■ ただし「塗ればすぐ燃費が下がる」わけではない
ここは重要だ。
2019年の研究で実証されたのは、主として超撥水材料そのものの機械的耐久性だ。
大型商船の船底全面に施工し、「燃料消費が○%減った」と実証した研究ではない。
実際の船底は極めて過酷な環境にある。
海水。
塩分。
摩耗。
衝撃。
長期間の航行。
そしてフジツボなど海洋生物の付着。
大型船で実用化するには、こうした環境でも性能を維持できることに加え、大面積への施工方法、コスト、既存塗料との比較など、多くの条件をクリアする必要がある。
そして何より、
実際の航行条件で流体抵抗をどこまで減らせるのか。
そこが重要になる。
現時点で「この材料を船底に塗れば燃料費が○%下がる」と断定することはできない。
しかしNIMSは、この研究成果について「流体抵抗を低減するための船底塗料」などへの適用を目指して開発を進めるとしている。
さらに2020年、内藤氏は「海運からのCO₂削減の切り札:超撥水コーティング」をテーマに、第4回マリンテックグランプリ最優秀賞などを受賞した。
研究の先に、船舶の省エネルギー化という明確な目標がある。
■ 材料は意外にシンプルだった
もう一つ興味深いのが、作り方だ。
最先端材料というと、特殊な装置や非常に複雑な製造工程を想像する。
しかしNIMSは、この超撥水材料について、無機材料と汎用樹脂を「混ぜて練り合わせる」ことで機能を発現できるとしている。
酸化亜鉛とシリコーン樹脂という組み合わせも、極端に特殊な原料ではない。
さらに従来の樹脂成形や塗装技術を適用できる。
どれほど優れた材料でも、作るのが難しすぎれば社会には広がりにくい。
性能だけではなく「どう作るか」まで実用化を意識している点も、この研究の重要な特徴だ。
■ 塗料が「性能部品」になる時代
塗料はこれまで、物を「守る」「色を付ける」ものというイメージが強かった。
しかし材料科学の進歩によって、その位置付けは変わり始めている。
水を弾く。
氷を付きにくくする。
錆を防ぐ。
汚れを付きにくくする。
そして、流体との抵抗まで変える。
塗られているだけに見える薄い材料が、機械や乗り物の性能を左右する「機能部品」になっていく。
内藤氏らの研究が面白いのは、水を弾くことだけではない。
ハリセンボンという生物の構造からヒントを得て、従来の超撥水材料が抱えていた「傷ついたら終わり」という弱点そのものを変えようとした。
そして、その先には巨大な船をより少ないエネルギーで動かすという目標がある。
エンジンでもない。
燃料でもない。
船の表面を変える。
巨大な船のエネルギー問題を、「塗る材料」から変えようとしている。
そう考えると、「塗料」という言葉から受ける印象よりも、はるかに大きな可能性を持った研究なのかもしれない。
■ 参考資料
・物質・材料研究機構(NIMS)
「ハリセンボンをヒントに耐久性に優れた超撥水材料を開発」
・物質・材料研究機構(NIMS)
「水をはじく! 超撥水材料」
・ACS Applied Materials & Interfaces
“Durable and Flexible Superhydrophobic Materials: Abrasion/Scratching/Slicing/Droplet Impacting/Bending/Twisting-Tolerant Composite with Porcupinefish-like Structure”
・物質・材料研究機構(NIMS)
内藤昌信氏インタビュー


