GDPが増えれば、国は本当に豊かになるのか?――世界で進む「Beyond GDP」とは
GDPが増えれば、国は豊かになる。
私たちは長い間、そんな感覚で国の成長を見てきた。
しかし今、国連やOECDなどでは、GDPだけでは捉えられない国や人々の豊かさを測ろうとする「Beyond GDP」という議論が進んでいる。
なぜ、GDPだけでは足りないと考えられるようになったのだろうか。
例えば、大気汚染が悪化したとする。
空気清浄機が売れる。
マスクが売れる。
医療機関を受診する人が増える。
関連する商品やサービスの生産が増えれば、それらはGDPに反映される。
しかし、人々の生活は以前より豊かになったのだろうか。
本来必要のなかった支出が増えただけで、生活環境そのものはむしろ悪化している。
GDPは、その支出が「生活をより豊かにするためのもの」なのか、「悪化した環境から身を守るためのもの」なのかを区別するための指標ではない。
GDPは正しく経済活動を測っている。
ただし、その経済活動によって社会が以前より良くなったかまでは測っていない。
ここに、GDPという数字の性質が表れている。
GDPが間違っているわけではない。
問題は、私たちがGDPに何を求めているのか、ということなのかもしれない。
■ 戦後の日本では、GDPと豊かさが近かった
GDPが国の成長を見る指標として広く使われてきたことには理由がある。
戦後の日本を考えると分かりやすい。
道路を造る。
鉄道を延ばす。
住宅を建てる。
工場を造る。
上下水道を整備する。
家庭に冷蔵庫、洗濯機、テレビ、自動車が普及する。
こうしたものが不足している社会では、生産や消費が増えることが、そのまま生活水準の向上につながりやすい。
昨日まで舗装道路がなかった地域に道路ができれば、移動は便利になる。
水道がなかった地域に水道が通れば、生活は大きく改善する。
家に冷蔵庫がなかった人が冷蔵庫を買えば、暮らしは便利になる。
こうした経済活動はGDPにも反映される。
つまり、高度経済成長期のような社会では、
経済活動の拡大
↓
GDPの増加
↓
生活水準の向上
という関係が、比較的分かりやすかった。
発展途上にある国でも、インフラ整備や工業化が生活水準の改善につながる発展段階では、GDPの成長と生活の改善が同じ方向に動きやすい。
道路が整備される。
住宅が増える。
電力が普及する。
工業化が進む。
こうした段階では、経済活動の拡大そのものが、人々の暮らしを大きく変えていく。
だからGDPは、国の発展を見るうえで非常に便利な指標なのである。
■ しかし、成熟すると事情が変わる
問題は、その国がある程度豊かになった後だ。
道路はすでにある。
水道もある。
住宅もある。
冷蔵庫、テレビ、スマートフォンも、多くの人がすでに持っている。
もちろん、設備の更新や新しい技術への投資は続く。
しかし、「何もなかったところに初めて作る」時代とは、生活を大きく改善できる余地が違う。
そして生活が一定水準まで豊かになると、私たちが社会に求めるものも変わってくる。
健康に暮らせるか。
安心して生活できるか。
十分な教育を受けられるか。
自由な時間があるか。
子育てしやすいか。
所得が一部の人だけに集中していないか。
自然環境が維持されているか。
将来の世代にも、同じような生活水準を残せるか。
こうしたものは、GDPだけでは十分に表せない。
それでも私たちは、
「GDP世界○位」
「GDPが○%成長」
という数字を、まるで国全体の成績表のように扱うことがある。
ここに、成熟した国が抱える問題があるのではないだろうか。
■ 災害から復旧するとGDPは増える
GDPの性質を考えるうえで、災害は分かりやすい例だ。
地震や台風によって、建物や道路が壊れる。
社会全体から見れば、大きな資産を失っている。
しかし、その後には復旧工事が行われる。
建設会社が動く。
資材が購入される。
人が働く。
こうした経済活動はGDPに計上される。
そのため、復旧によってGDPが押し上げられることはあり得る。
もちろん、これはGDPの欠陥ではない。
GDPはそもそも、「国民がどれだけ幸せになったか」を測る数字ではない。
一定期間に、国内でどれだけの付加価値が生み出されたかを測る指標である。
壊れた道路を直すことも経済活動なのだから、それを計上するのは正しい。
問題は、
GDPが増えた
=
国が豊かになった
と解釈してしまうことだ。
■ GDPの代わりになる指標はあるのか
ここで疑問が生まれる。
成熟した国では、何をもって「国が良くなった」と判断すればいいのだろうか。
実はこの問題は、世界ですでに長く議論されている。
キーワードは、
「Beyond GDP」
である。
OECDなどの国際機関では、GDPだけでは捉えきれない人々の暮らしを測るため、所得だけでなく、住宅、健康、教育、環境、安全、社会とのつながり、ワークライフバランス、生活満足度などを含むWell-beingの測定が進められている。
日本でも内閣府が「満足度・生活の質に関する調査」を実施し、経済指標だけでは見えにくい生活の状態を把握しようとしている。
内閣府は、満足度や生活の質を表す指標群として、Well-beingダッシュボードも公開している。
さらに国連でも「Beyond GDP」をめぐる議論が進められている。
つまり、
「GDPだけで国を評価していいのか」
という疑問は、単なる哲学的な話ではない。
世界の政策現場ですでに議論されているテーマなのである。
■ 幸福度に置き換えれば解決するのか
しかし、話はそれほど簡単ではない。
GDPを捨てて、幸福度ランキングに置き換えれば解決するわけではない。
幸福には主観が入る。
文化によっても違う。
所得も重要だし、医療や教育も重要だ。
さらに、現在の世代が満足していても、資源を使い尽くし、次の世代に何も残さなければ、それを良い国と評価してよいのかという問題もある。
だから現在の議論では、GDPに代わる「万能の一つの数字」を探すというより、
複数の数字で国を見る
という方向に進んでいる。
■ 「今年どれだけ生産したか」と「何を持っているか」は違う
ここで興味深い考え方がある。
世界銀行は、「国の富」そのものを測ろうとしている。
道路や工場、機械などの人工資本だけではない。
教育や技能などの人的資本。
森林、農地、水、地下資源などの自然資本。
さらに対外純資産なども含めて、その国がどれだけの資産を持っているのかを見る。
これは会社に置き換えると分かりやすい。
会社を評価するとき、売上だけを見るだろうか。
売上が増えていても、
設備を壊している。
優秀な社員が次々に辞めている。
借金が増えている。
会社の資産を売却している。
という状態なら、その会社が本当に良くなっているとは限らない。
国も同じではないだろうか。
森林を大量に伐採して木材を売れば、その年のGDPは増えるかもしれない。
しかし、森林という資産は減る。
長時間労働によって生産量を増やせば、GDPにはプラスになるかもしれない。
しかし、人々の健康や自由時間を失っているなら、別の場所でマイナスが発生している。
GDPだけでは、その両方を見ることができない。
■ 国を三つの方向から見る
ここまで各機関の取り組みを見ていくと、国を評価する方法を、大きく三つに整理することができそうだ。
【経済活動を見る――GDP】
その国で、どれだけの付加価値が生み出されているのか。
【現在の暮らしを見る――Well-being】
健康、教育、安全、所得、環境、自由時間、生活満足度など、人々が現在どのように暮らしているのか。
【未来まで続く力を見る――Wealth】
人的資本、人工資本、自然資本など、現在の豊かさを将来にも維持するための資産をどれだけ持っているのか。
この三つは、どれか一つを選ぶものではない。
GDPも必要だ。
Well-beingも必要だ。
そして、その国が将来に何を残しているのかを見る必要もある。
■ GDPを捨てる必要はない
そう考えると、
「GDPは意味のない指標だ」
という結論にはならない。
むしろ逆である。
GDPは非常に有用な指標だからこそ、世界中で使われている。
ただし、GDPが測っているのは、
「経済活動」
である。
国民の幸福でもなければ、社会の安全でもない。
自然環境でもなく、未来の世代が受け取る資産でもない。
戦後の日本のように、経済活動の拡大と生活水準の向上が強く結びついていた時代には、GDPを見ることで、国の発展をかなり分かりやすく把握できた。
しかし成熟した社会では、その二つが必ずしも同じ速度では動かなくなる。
だから必要なのは、
GDPに代わる指標を一つ決めることではない。
GDPだけで国を評価するのをやめることなのではないだろうか。
世界ではすでに「Beyond GDP」という議論が進んでいる。
日本もこれからは、
GDPが何%増えたかだけではなく、
「この国で暮らす人の生活は、本当に良くなったのか」
そして、
「次の世代に、より良い国を残せているのか」
という問いを、国の成績表に加えるべきなのかもしれない。
GDPは、国の経済活動を見るための優れた温度計である。
しかし、温度計だけを見て、健康状態のすべてを判断することはできない。
成熟した日本に必要なのは、GDPを捨てることではない。
GDPに加えて、暮らしと未来を測る別の指標も同時に見ることなのだと思う。
【主な参考資料】
・国際連合(United Nations)
・OECD
・世界銀行(World Bank)
・内閣府
・ニュージーランド財務省


